愛宕神社は、岐阜県養老郡養老町高田にある神社です。
西町の住民によって、京都の愛宕山の火産霊神(ほむすびのかみ)をお迎えし建立されました。防火、現在では広く防災の氏神として、地域住民をお守りいただいております。
毎年5月第3土曜日、翌日曜日に例大祭を行っています。
高田まつりは、愛宕神社の例大祭にあわせて行われる曳き軕まつりです。
起源については不明です。1596年~1615年(慶長年間)より前から存在し、愛宕堂と呼ばれていたという言い伝えがあります。1759年(宝暦9年)の祭礼に、下河原の若衆がにわか獅子を奉芸し、翌1762年(宝暦12年)に、現在の東町に御旅所を建立しました。
1779年(安永8年)12月24日下河原町内で出火、御旅所の土蔵を焼失。
1794年(寛政6年)11月20日夜に発生し翌21日夜に鎮火した「高田の大火」により焼失。この大火は、愛宕神社をはじめ、住家254軒、添屋52軒、土蔵89棟、景陽寺鐘棲等合計397の建物が焼失し、古文書も多くが焼失しました。
1820年(文政3年)に再建。
1823年(文政6年)12月29日に横町(現:常盤町)内で出火、御旅所が焼失。
1824年(安政7年)8月に遷宮が行われて現在に至ります。
江戸後期までは、本地仏地蔵菩薩が安置されておりましたが、神仏分離令により、同町高田の即心寺に安置されることとなりました。
高田地区の住民の大部分は、愛宕神社と田代神社の2つの神社を氏神として崇める珍しい地区となっています。
愛宕神社の例大祭と高田まつりを「高田の春祭」、田代神社の例大祭(通称:太鼓祭り)を「高田の秋祭」と呼称しています。
神社本殿の天井には、元高田出身の画家、日比野鶴翁による絵天井雲竜の画が描かれています。
鶴翁は1764年(明和元年)の生まれ。岐阜の鶴洲に師事し、写実的な作風である南蘋派の画家として活躍しました。
この天井図は元々は大きな1枚絵でしたが、本殿を修繕する際に4枚に分断されました。
この作品の他にも、景陽寺の襖絵(養老町高田)、万歳閣軕(同町室原)等が残されています。
本殿北側にある北野神社は、天満大神(菅原道真公)を祀っています。
1804年~1818年(文化年間)の間に建立されました。毎年8月3日と4日に例大祭が執り行われ、地域住民には「北野天満宮」と呼ばれ、親しまれています。
1837年(天保8年)の古文書「愛宕神社奉納額」は、天保の大飢饉の際に奉納されたものを記した絵馬で、粥施行(富を築いている者が、食べ物を分け与えること)について記載されています。また、酒一升三〇〇文、塩六四文、味噌三〇〇文というように、当時の売買価格が記載されています。
町指定有形文化財に指定され、田代神社宝物殿に保管されています。
社務所は、愛宕神社の社務以外にも、西町軕組の寄合所、お囃子やからくりの稽古場として使われています。
境内には、イチョウにモミジが寄生している珍しい樹木があり、毎年秋には、鮮やかな黄色のイチョウと赤色のモミジを1本の樹木で楽しむことができます。ただ、イチョウとモミジの紅葉の見頃の時期にずれがあるため、両方同時に見頃という年は、滅多にありません。