・高田まつりの開催日・開催時間の変遷
高田まつりは、その歴史とともに、開催日や時間も変化しています。
江戸時代は、旧暦の6月23日・24日の開催。その後、西暦の5月18日・19日の固定開催。平成に入り、現在の5月第3土曜日と翌日曜日開催となりました。
また、宵軕開始時刻も、昭和中・後期から21時から20時へ変更されています。
神事等の儀式の開始時刻については、古来より定められた時間を厳守し行われています。

・軕の解体保存と軕倉の完成
高田まつりの軕は、かつては解体保存されていたようで、彫刻や金物などの貴重品は有力者の家々で保管されていたと伝えられています。
軕倉に納めるようになってからは、軕は骨組み状態まで装飾品などを取り外し、保管されるようになりました。

・幻の神輿
現在の神体行列は、神籬台を用いています。しかし、かつては神輿が用いられていました。1953年(昭和28年)に御旅所前で撮影された写真には神輿が写っており、戦後まもなくまで神輿が用いていたことが分かっています。神輿は現在でも保管されています。

・西町のお囃子稽古
現在は、愛宕神社社務所でお囃子の稽古を重ねていますが、平成後期までは、景陽寺の講堂で行われていました。子どもが多かった昭和中期頃は、笛や大太鼓、締め太鼓等の楽器は、若い衆と担当がすでに決まっていました。小さな子供は、板の間に座布団もなく正座し、楽器も触らせてもらえなかったことすらあったそうです。

・西町の幻の草笛
昭和中期まで、西町では自作の草笛でお囃子を演奏していました。中でも、1800年頃に使われていたという草笛が現存しています。この笛は、代々西町のお囃子にゆかりのある人物に継承されています。

・軕曳き
現在では、各軕組の人間や、ボランティアによって曳かれている軕ですが、昭和中期あたりまでは、西町、中・東町は近隣から主に農民を募り、賃金を払って曳いてもらっていたそうです。当時、人夫(にんぷ)や人足(にんそく)と呼ばれ、現在でも名残として用いられています。

・御神灯と幕
本楽では、各家々では、御神灯と幕を張ります。また、ご神体行列が家の前を通過する場合は、家人は頭を下げるなどのしきたりがありました。現在では、商店が減り、住宅が多くなったため、徐々に御神灯や幕を張る家が少なくなっています。少子高齢もあり、頭を下げるしきたりも廃れつつあります。

・西町の子どものいたずら
試楽や本楽で、お囃子をしている子どもたちから、「カメが落ちてきた!」との声。すぐに貴重品係が駆けつけ「カメなんてあったかな」と確認する。子どもの手には、輪投げで取った金メッキのカメの置物が…。「なんやおもちゃやないか!」と言って、戻っていく大人を見て笑う子どもたち。今現在は、いたずらをする子どもも減り、カメの落下は起きなくなりました。

・西町の子供たちの秘密基地
西町の軕倉が、移転する前の平成中期までの話。試楽や本楽を終え、骨組み状態の猩々軕は、軕会所で路駐されていました。夜間は、大人たちが軕会所で夜警を行い、子どもたちは軕の中で遊んでいました。屋根を下げている状態なので内部は狭く、暗い中でしたが、カードゲームや雑談をして、子どもなりのまつりの楽しみ方でした。軕倉が現在の場所に移転し、軕倉へ軕を戻すようになったため、子どもによる夜警は行われなくなりました。

・各軕のジャッキアップ
軕倉に収まっている状態の軕は、車輪や車軸への負荷を軽減するため、ジャッキアップされ、車輪を浮かせ、梁で自重を支えています。

・東の唐子のロケットパンチ
いたずらをする鶴を、唐子が追いかける動作は、激しい動作です。唐子の腕が外れて、肘から先が飛んでいくことが度々あったため、ロケットパンチと呼ばれていました。2002年(平成14年)に修理され、ロケットパンチは起きなくなりました。

・高田まつりの雨のジンクス
西濃地区では5月の初めから、順番に「垂井祭り」「大垣祭り」と続き、最後に「高田祭り」が行われます。『大垣祭りが晴れると、高田祭りが雨になる』というジンクスがあり、関係者は気が気ではありません。このジンクスが真実かどうか、どなたか確認をお願いいたします。