西町が誇る美術品が彫刻一式です。作者は、彫刻師の立川流一門34面、地元高田の彫刻師早瀬忠兵衛藤原重興4面、作者不明の作品1面の計39面が残されています。これらの彫刻は、1956年(昭和31年)に岐阜県の重要文化財に指定されています。

〇立川流彫刻作品群

信州諏訪の立川流彫刻師2代目立川和四朗富昌と、子の3代目和四朗富重、その弟の専四朗富種により制作されたものです。すべて欅の1枚彫で、重厚でありながらも、とても繊細な作品となっています。当時の立川流一門とのやりとりは、現在でも残されていて、当時の時代背景や、力を入れた作品であることがわかります。

そもそも立川流とは、信州諏訪(現:長野県諏訪市)を拠点に活躍した彫刻師の一門です。当時の彫刻は、極めて精巧ですが、表面的な自然観を手際よく掘るもので、重厚感や醍醐味がなかったといわれています。その中で、個性的で鋭い彫り方だった白木彫りによって、優れた技術を持っていた立川流は、全国にその名を知らしめました。また、立川流一門は、几帳面で計画性が豊かな人材が多く、絵画、書道、作法などの心身の修養にも努めていたため人々から信頼を得るようになったとも言われています。立川流の登場により、軕には豪華な彫り物を取り付けるようになりました。

西町軕組と立川流の関わりは、高田の大火後の1844年(天保15年)から始まります。箱書きによると1847年(弘化4年)に狭間が完成し、1851年(嘉永4年)に全ての作品が完成しました。

・十二支(6面) 本軕中段の掛輪台に用いられる干支彫物。各2種の干支を1組としています。「馬と猿」「羊と猪」「兎と蛇」「虎と龍」「犬と鶏」「牛と鼠」の組み合わせになっています。

・乱獅子(4面) 前軕正面及び側面に取り付けられているもので、十二支と同規模の作品です。乱獅子は、立川流の得意とした作品の一つで、高山祭の五台山など多くの作品が残されています。

・水遊諸鳥(16面)

軕の腰回り部分、四方にはめ込まれ、前後左右各4面、計16面。鳥は「オシドリ」「カワラヒラ」等。水遊諸鳥とあるが石亀等もあります。 低位置で曳軕時には人の手が触れることができるため、浅く掘ってあります。

・蝦蟇仙人(1面)

試楽用に用いられている替え狭間。軕を正面から見て、右側正面に取り付けられています。大きな蛙を仙人が肩車している様子を彫ったもので、中国仙人列伝の蝦蟇(がま)仙人を指しています。中国の渤海の劉拐蟾(りゅうかいせん)という人物です。背後の植物は一見「アオキ」に近いが詳細は分かっていません。背後の植物は一見「アオキ」に近いが不明である。蝦蟇仙人は伸び放題の髪で、裸足のままザクロの実を手にし、竹林に腰掛け、肩に三本足の白い蝦蟇を使って妖術を行ったという伝説が残されている。

・鉄拐仙人(1面)

試楽に蝦蟇仙人の反対側に取り付けられているのが隋代の鉄拐(てっかい)仙人です。鉄拐仙人の性は李、名は洪水。ある日、魂と体を分離し、老いた子どもを訪ねたが、その間に弟子が勝手に鉄拐の体を火葬したために魂が帰ることができなくなり、路傍の物乞いの屍に乗り移った故事によるもので、片足で破れた着物をまとい、小人を吐き出すように描くのは、自分の魂が遊離した様子を表しています。本楽の見送り幕の構図は、この作品と非常によく似ています。

・猩々(2面)

試楽用彫刻で、軕を正面から見て、前軕側面に取り付けられています。猩々は、赤い長髪で、酒好きの中国に伝わる想像上の生き物です。雌猩々は、柄杓を持ち酒に酔う様子を。もう一方の雄猩々は、酒壺から大盃いっぱいに注がれた酒をのみ酔う様子を表しています。また表情で、いかにこの酒が美味いものであるか表現されています。背後の植物は、南方が「ユズリハ」、後者は酒を造る「クワ」、両下部は「ツタ」であると推定されています。

・花鳥(2面)

試楽の仙人2人に替わり、本楽の日に前軕左右に取り付けられます。花は渡来植物の「ザクロ」、下部の一方は「ササ」、その他は「キク」である。特にザクロは、果実一粒一粒、双葉の茂りや枝振り等、忠実に彫られている。鳥も渡来動物のオオムインコ科で、正面が「コバタン」、上は「サトウチョウ」、左側は「テンジクバタン」です。当時としては珍しい渡来動植物を題材としています。

・松鷲(2面)

立川流彫刻の最高傑作、軕彫刻の最高傑作等との呼び名もあるのが、この松鷲です。西町軕組では、本楽の前軕左右に用いられます。1847年(弘化4年)に完成した作品であり、使用されている木材は、縦136.1cm、横55.5cmの欅の一枚で20cmに及ぶ分厚い彫物です。主題植物の松は「ゴヨウマツ」、下部の植物は、「ショクナゲ」の葉、「ナズナ」等であるとされています。一方、本州に住む「イヌワシ」と推定される鷲は、鋭い眼、鋭利なくちばし、大形の翼等、猛鳥の様相を表しています。雌雄1体を今にも獲物に飛び掛かろうとする動(左)と、毅然とたたずむ静(右)で表現した作品です。

この作品は、2008年(平成18年)の調査により、2代目立川和四郎富昌と、3代目和四郎富重の親子作品であったことが発見されました。


〇早瀬忠兵衛藤原重興(彫忠)の作品

彫忠は、1785年(天明5年)生まれ、1840年(天保11年)7月8日に没した高田の彫刻師で、遺作としては、東町軕組(同祭、諸説あり)、蓮光寺(同町直江)、専念寺(同町高田)、浄誓寺(同町下笠)、在徳寺(柏尾)等がある。彫忠の弟子に、西濃地域で「民弥彫り」の名で活躍した彫刻師の佐竹民弥義寄がいる。

・蟇股龍(4面)

上段屋根の四方、柱と柱の間に取り付けられている。龍の顔は、正面は右向き、後方は右向き、左右は前方に向けられている。


〇作者不明の作品

立川流の獅子との作風が異なり、彫忠の作品であるという記録もなく、作者不明の作品である。立川流へ彫刻一式の作成依頼をする時期に、他の彫刻師に見本として譲り受けたという説がある。

・獅子(1面)

軕に取付られない彫刻で、おおよそ縦8cm、横14cmの作品である。